2020年01月01日

意識する





オババ元々は超朝方人間だった。

が、いすみに来てからというもの
体力が追い付かず
朝起きられなくなっていて
睡眠パターンが崩れまくってる。

ここから何とかしよう!

何とかしなくちゃ!


近隣の騒音?人間の我?に
疲れている部分も大きい。

やっぱ、ストレスを弾き返せるだけの
体力が無いのがよろしくない!

そうだ!

体力だ!
posted by Primrose at 00:00| 千葉 | Comment(0) | シンクロニシティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

里親募集

ダーちゃんの里親募集
http://aussie-breed.seesaa.net/article/462267736.html

リンちゃんの里親募集
http://aussie-breed.seesaa.net/article/462236583.html

ランちゃんの里親募集
http://aussie-breed.seesaa.net/article/462235044.html


****************************


今室内飼育3頭の猫たちについて
里親さんを募集しているのだけど
募集理由について掲載した方がよいでしょうか?って
募集主さんがオババに尋ねてきた。

募集理由を掲載した方が
きっと応募は増えるよね。

それに
個別対応に進展したとき
わざわざ詳細を説明しなくて済むから

募集主さんは
心の痛みを追体験しなくて済むだろうなっても思う。

でも果たしてそういう募集方法で
本当にあの子たちが幸せになれる里親さんの元へ
届けられるか?ということには
疑問がある。

自分が大切に育て
共に暮らしてきた子を手放さざるを得ないには
それなりに耐えがたい大きな出来事があってのことで
簡単に手放すわけじゃあない。

そりゃあね
中には自分都合で
簡単に手放す人もいるんだろうけど
そういう人はさ
募集の仕方も雑で
とにかく自分の元からその子がいなくなってくれればいいっていうのが
解ってしまうような
そんな募集の仕方しかしていないよね。

わざわざ相手に募集理由を聞かなくたって
本当に大切にされてきた子か
邪魔になったから責任転嫁するための募集なのかの違いも
募集の仕方から感じ取れないような人には
渡したくないじゃない。

募集理由を掲載していないから
相手に理由を尋ねるっていう人はさ
里親さんを募っている子たちを大切に育ててきた人が
どんな思いで手放すのかについて
思慮が出来ないほど
遠慮がないとか
他人を信用していないっていう事だったり
理由如何によって引き取るかどうかを分けるレベルにしか
その子との暮らしを考えていないっていう事だったりするんじゃね?って思うのね。

そういう人の元に渡って
本当にその子たちが幸せになれるだろうか?って考えると
オババにはそう思えないんだ。

これがもうよぼよぼの
看取るのを待つだけの

里親となった人がその子との暮らしを楽しむ要素が無く
ただ介護や葬儀のために引き取るというだけみたいな子たちだったら
理由如何によって
引取ってあげてもいいですよっていうこともありだろうって思うけど
まだまだ未来が明るい子たちだからね、
この子と暮らしたいわ〜、
この子ってどんな子なのかしら?って
一緒に暮らしている姿をイメージして
ああ、この子が自分の所に来てくれたら
どんなに素敵だろう♪って
そんな風に思い入れをもって応募してくれる人に
応募してもらいたいなって思うんだよね。

可哀そうだから引きとってあげる。。。なんていう
憐れみによってもらわれていくほど
安っぽい育てられ方をしてきた子たちじゃあないんだぜ。


自分達の子供のように育ててきた大切な子たちなんだから。

そういう子を手放さざるを得ない心の痛みをも含めて
自分が引き受けて
必ず幸せに一生絵を全うさせてあげるねって
そういう思いをもって応募してくれる人
理由なんか書かれていなくても
手放す人がどんな思いで里親を募集しているのかを
ちゃんと理解できる人
雑に飼っていた人と
そうでない人を
募集記事から見分けられる人

そういう人とつながってもらいたいって
オババは思ってる。

理由を聞かないと気が済まない偽善者とか
憐れみで引き取ろうとする人の下で
口が利けない生き物が
幸せになんかならないっていう事は
オババが一番よく知っている。

そういう人はさ
感度が鈍くて
動物の気持なんてわからなくて
独りよがりの愛情しか持っていないから。


応募があってから個別対応になったとき
そこで募集理由を尋ねられるかもしれない。

その時募集主さんは
おもいっきり悲しみや苦しみを追体験させられるかもしれないけれど
それは里子に出される子のために我慢するしかないし
自分にとって大切なその子のために必要なら
それを我慢するくらいの気持ちがある募集主だと思ってる。

でも興味本位な人たちのために
そうした痛みを体験する必要はないでしょ?

そんな簡単な痛みのための募集じゃないんだから。



にほんブログ村





posted by Primrose at 07:19| 千葉 | Comment(0) | 里親募集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

薬剤メーカー必死だな

降圧剤に副作用リスク、老化進め命を縮める恐れあり

また変わる高血圧基準「何を信じればいいの…」と落胆の声も



基準値をいじくって患者数を増やす=薬剤メーカーが潤う。。。の図式。

寿命が縮まろうが
痴呆が増えようが
メーカーは関係なしだよね。

メーカーはさ企業だからね
売上伸ばそうと必死なのは
開発費の回収やら
従業員抱えている以上

収益が前年より下回るなんてこたぁ有っちゃならないんだろうから
仕方ないとして

問題はさ
こういう魑魅魍魎のいかさまを
国が公然と認めたり後押ししたりしているっていう事だと思うんだよね。

えらいさんが
陰で癒着してるんだなって
みんな解ってて
何も変わらない変えようとしないっていうことが問題。

正義を振りかざす連中っていうのはさ
弱い者や少数に対しては強気でものを言うんだけど
えらいさんとか
お金持ちとか
相手が強いとか大きいと
何も騒がない。

要は
弱い者いじめの構造でしかないんだって思う。

それとね、動物愛護を声高にさけんで
人間が増えすぎたんだとか
人間なんかみんな死ねばいいとか
人間以外の動物をやたらと大切にして
人間を憎んでいる人たちも
震災や土砂崩れとかで大勢亡くなったりすると
突然いい人ぶって
被災した方にお見舞い申し上げますとか言っちゃうんだけど
普段自分たちが
人間を憎んでいたりする波動が
災害が起きる現実を引き起こしているんだって思わないから不思議。

最初に言葉ありき!って
創世記なんかに書かれていたりするよね。

言葉がもたらす波動って
馬鹿にできないんだけど
言ってることがころころ変わるあの人たちは
そこら辺のことが解っていないように思う。

現実っていうのは
どれだけリアリティ感が有るかっていう
自分の頭の中で作り出している幻想って事らしいじゃない?


リアリティっていうのは
潜在意識に左右される。

潜在意識は
自分の口から出た音を
頭骨が拾って
脳に直接そのイメージを刷り込んでいるんだよ。

だから
人間を憎んだ言葉を吐き続ける人が体験する現実(幻想)には
人間が居なくなる形で現れやすくなるんじゃね?

って考えると
災害を引き起こしている大本は
彼らがまき散らしている
人間を憎む言葉なんじゃないか?っていう結論に至るんだが
どおよ?

ま、波動とか
脳が作り出しているリアリティっていうことを前提としての話でしかないが、
それを前提として考えるなら
そういうことになるよね?

自分達が引き起こしておきながら
心よりお見舞いもうしあげますとか
良い人ぶってんなじゃねぇよ!?って思ったりして。(笑)

それはさておき
やっぱりさ
自分だって人間なんだから
人間なんかみんな死ねばいいのよ!なんてぇことは
言うべきじゃないよね。

だったら君が死ねば!?って言われてもおかしくないじゃない?

人はさ、どれだけ人を愛せるかを経験するために生まれてきたんじゃないのかな?って
思うからさ。。。ってぇことを

今朝、みんなのウンチ取しているときに
つらつら考えたりした。

ウンチ片付けながら愛を説くってのも
なんだかなぁ。。。だけどね。苦笑

ちょっとオババ疲れ気味だから
意味不明なことを考えながら
みんなの世話をしていたのだけど
こういう意味不明なことを
いつも頭の中で
ああでもない
こうでもないと
こねくり回す習慣があるから
突然パッ!💡と
良い訓練方法がひらめいたりするんだ。(笑)

何にも考えないではいられない
多動のオババ、
訓練方法の引き寄せ方?降ろし方?ってのが
この
意味不明なことを
頭の中であれこれこねくり回して
A→Bに持って行く思考習慣なの。(笑)


普段からそうやって
1つのことに関連する事柄を
あれこれつなぎ合わせていくことが習慣化しているから
なにかのヒントで
訓練方法を思いつくんだよ。

****************************

今夜は流星群でも眺めるかな。。。



にほんブログ村



posted by Primrose at 21:05| 千葉 | Comment(0) | 躾・訓練 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魑魅魍魎

魑魅魍魎


ってのは
字を観るだけでも
なにかの呪符みたいなオドロオドロシイ感じがする。

山の妖怪や川の人を惑わす精霊の事らしいが
巷では
他人を食い物にする邪悪な人や
そういう人間が渦巻く社会のことを指す
世界観を表すことが多い。

そういう風に
外部の存在としてとらえていられるうちは
まだ救いがあるけれど
これがひとたび
無力感とか
無価値観みたいな
悲観脳に巣くう危険な部分を刺激する自分の潜在意識のようなこととして
わが身の中にその存在を確認してしまうと
耐えがたいものが有ったりする。

自分を内側から食らいつくす
魑魅魍魎。

たぶん
学校や新たに社会で働き始めたような若者が
落ちこぼれ感にさいなまれているようなときというのは
自分の内側に
この魑魅魍魎が取り付いて
英気を吸い取っているような感じなんじゃないだろうか?


自信が無いとか
自分の存在価値を感じられないとか
人として生きる基本的なエネルギーを育てられずに暮らしてきた
悲観脳の持ち主は
自分の心の奥底に取り付いて離れない
魑魅魍魎と
つねに
生のエネルギーを拮抗させ
あっちの世界に連れていかれないように頑張っていることに
大半のエネルギーを使っていて
生を楽しむことに回せる余力のエネルギーが無いまま
苦しい中で生きているんじゃないかと
この世に生まれ落ちたときに
大切に扱われず
生きる力を奪い取られた人の脳やハートの隙間に入りこんで
人間のエネルギーを吸い取り続ける
魑魅魍魎の存在を感じたりする。


魑魅魍魎という存在を
自分の外側に見出していられる人は
まだまだ余裕があるよねって思うけど
ひとたび
その存在を
自分の体内に感じ取ってしまったら
どうやったらそれを払い落とせるのかなっていう
新たな戦いが始まったりするのだろうって思ったりする。

本当の幸せっていうのは
それを払い落とせた時から始まるんじゃないだろうか?

世の中の
落ちこぼれ感にさいなまれている若者たちに
内側に巣くっている魑魅魍魎の払い落とし方を教えてあげられる人が現れたら
少子化の世の中で
さらに拍車をかけるように自殺していく子供たちの数を
確実に減らしていけるような気がしたりするけれど
きっとそれは
自分の中にある無力感や無価値観に気づくことから始まって
そこに巣くう魑魅魍魎の存在を認識し
それを排除していく方法を
伝えられる人でないと
彼らを救ってあげることは難しいのだろうなぁ。。。


内部に巣くう魑魅魍魎は
その人の周りに在る愛や守りの力から
その人を隔絶された世界に自分が居るように錯覚させて
追い詰める。

内部に巣くう魑魅魍魎は
物事の見え方や捉え方を
まったく本質からかけ離れたもののようにしてしまうから
内側に魑魅魍魎が取り付いてしまっている人には
周りの人たちが見ている世界と
まったく違うように
言葉や光景が映って見えているに違いない。





にほんブログ村
posted by Primrose at 10:04| 千葉 ☀| Comment(0) | 人間観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月20日

本当にそれは必要か?

https://youtu.be/w_26BL1vSq8
https://youtu.be/bvBLfNSxDfQ

東ティモールの復興のために行っている支援の
アピール動画の中に
灌漑施設による水の配分を妨げる
地元の農民の
勝手な堰止め行為についてのシーンがあった。


その動画では
二期作を遂行するために
灌漑施設を建設したのだけれど
自分の畑に水を引こうとして
灌漑施設の中に分岐水流を停める堆積物を積む人が居て

そうした行為をやめるように話し合いが必要だと解説していた。

一見それは正当な話に聞こえるのだけれど
それは生産性を上げたい水稲農家にとっての理屈でしかないよな〜と
観ていて思った。

二期作を行うのは
年に一回の収穫では
食べていくのがやっとで
二期作にすることで
教育にかける費用などが捻出できると
生活の向上(暮らしに余力が出来る)が叶うと現地農家の方は話していた。


別の動画では
精米機の性能が悪いために
コメが割れてしまったり
パッケージが悪かったりとインドネシアのコメに比べると見劣りする部分が大きいのに
価格も高いため
インドネシアのコメに販売競争で負けているのだとか。。。

先の水の分配について
ここいすみに越してきて
水利組合というものが
地域社会に与える影響というのを知るようになって
あの東ティモールの支援動画を
そのまま素直に受け取れなくなっている。

確かに灌漑施設が出来たことで
それまでよりも水の供給は安定したかもしれないが
水稲農家にとっては経済に大きく反映するから
灌漑施設を使うための管理費も惜しくないだろうけれど
それまでただで使えていた水を
施設を作ったから
管理費を徴収されたり
管理のために駆り出されたりするようになることは
水稲農家以外の者にとっては
余計なことではないだろうか?

誰のものでもなく
みんなが自由に使えていたものを
誰かの管理下に置いて
使いたかったら従えと言われるのは
なにかおかしい気がしても不思議じゃない。

自然に任せていることは
未来が見えない不安がある。

そうした未来に対する不安を盾にして
支配がはじまっていくというのは
弥生文化で経験済みの日本。

水を管理し
水稲農家を閏わせ
経済を発展させるわけだけど
そこから
土地を持つものと持たないものとの格差が出来
支配関係を助長したり
土地や財産の奪い合いが始まったりする。

水の管理でつながっている社会だから
周りとの同調を強いられ
お互いが助け合いという蓑に覆われた
縛り合いに発展する。

経済力を望む気持ちが強められているせいで
こんなに広い場所に暮らしていながら
土地を奪い合うような
相続争いが
醜く展開されている。


おかしいのは

稼ぎ手だった主が
高齢で働けなくなった時
田の手入れが出来ないからと
他人に耕作を頼まざるを得なくなっていても
相変わらず土地の相続争いをしていたり
お互いを見張り合う気持で暮らしていたりする。

もともと誰のものでもなかったはずの水なのに
生産性の向上をもたらす意図で
水を管理するようになって
それは
人を管理することでもあることに気づかないまま
流れがその方向へと進められていく。

水も土地も
本当は誰のものでもなく
天からお借りしているものと思っていたら
相続争いとか
無いと思うんだよね。

灌漑施設。。。本当にそれは必要だったのだろうか?

未来に対する不安を抱かなければ
目の前にあるもののありがたみを知り
もっと助け合って生きていたのではないだろうか?


灌漑施設によって安定供給がなされたことで
飢餓からは解放されるのだろうけれど
工夫が無くなったり
感謝が無くなったり
所有欲が強化されたり
支配や格差が強まったり。。。


経済的な豊かさが
本当に豊かな心に結びつく日は
遠いような気がする。




にほんブログ村

posted by Primrose at 08:50| 千葉 ☔| Comment(0) | 農作業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする