2035年02月28日

告知

この度メール相談に関する受講料を
2019/10/01より下記のように変更いたします。


べーシックコース(受講期間 6ケ月) ¥200,000.−
(問題の原因がどこにあるのか?
自分の愛犬がいわんとしていることは何か?
問題の改善や愛犬の能力を引き出す方法を始めとして
犬という生き物についてより深く知るためのコースです)

アドバンスコース(受講期間 4ケ月)¥120,000.−
(アドバンスコースはベーシックコース修了者のみ受講可。
愛犬とのかかわりを通じて
自身についてより深く知り
人生を豊かにするためのコースです。)



ご希望の方は当ブログのタイトル下部の
お問い合わせメールよりご連絡ください。






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posted by Primrose at 09:42| 千葉 ☀| Comment(0) | 躾・訓練 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

泥臭い努力

犬の事をやっていくとね
次第に目に見えない世界のことにつながって行ったりする。

それはきっと犬という生き物が
人間を導くためにやってきた天使のようなものだからだろうなと思うのだけど
そうした中でいつも感じるのは
いわゆる先天的なアニマルコミュニケーターみたいに
泥臭い努力や経験を積まないで目に見えない世界とつながっている霊能者のような方たちの話というのは
真実のうちの半分程度しか情報としては役立たないのだなという事だ。

それはアニマルコミュニケートという類だけじゃなく
人間のヒプノセラピーも一緒だなと思う。

この世に自分が生まれたのは
いろんなことを経験したかったからだ。

それは
経験によってしか得られない宝物があるからだ。

本で読みましたとか
人に話を聞きましたとか
映画で観ましたとかいう感動は
どんなに頑張ったところで
所詮は頭の中のメモリーの域を出なくて
嫌な思いも
幸福感も
体験による感動には遠く及ばない。

いろんなことを経験していく中で得た思考や想いは
腑に落とすことが出来るけれど
見識で得たものは
頭からハートに卸していくことはかなり難しいものだ。

簡単お手軽に手に入るものは
所詮まがい物でしかないってことなのだろう。

だからいろんなことを経験した人の話の方が面白いのは
当たり前の話だし
経験の中でも仕事という事での経験は
本当にいろんなものを人生にもたらしてくれる。

それは何か事が起きた時も簡単に逃げられないからだろうし
責任を伴うからで
そういう重さがあるからこそ
心の奥深いところに蓄積する記憶となって
それ以後の人生に影響していくデータとなりうるのだと思う。

若かりし頃は
そういう泥臭い努力や経験なしに
一足飛びで真理につながれる霊能力者などを
人生の早道を得ているようで羨ましいと思ったが
結局彼らが得ている情報というのは
映画による感動のようなもので
魂が震えるような重さはそこには無いという事なのだなと
最近は
かえってそういう能力など持たずに生まれて来て正解なのだと
この世の全てを楽しむという事は
そういう事なのだと思うようになった。

実際のところ
ヒプノセラピーなどの必要性を感じるようになるのは
それなりにいろんな経験を得てからのことだし
言ってみれば経験によってデータを積み上げたのちに
答え合わせとしてそうした機会を得るという事が正解なのであって
必要な経験を積まないうちに
簡単お手軽にデータにアクセスしようとすれば
本当に得なければならなかった情報を得られないまま
表面的な情報しか手に入っていない事にも気づかぬまま
解ったつもりで終わるのではないかという気がする。

過去の経験における記憶や感情が
自分の中で時間をかけて醸成され
やがてそれが美味しい飲み物に変わった時
初めて自分の人生の幕が開くことになるのであり
醸成もしないうちに栓を開ければ
味も香りも低次元の代物にしかならない。

言ってみれば
人生とは酒造りのようなものなんだなと。。。






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posted by Primrose at 03:59| 千葉 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月23日

優先順位

一日があっというまに過ぎて行く。

やらなくちゃならないことが沢山あって
それなのに天気が悪いと動けなくなる身体に
もどかしくなるのだけどね、
このやらなくちゃならないことや
やりたいことと言うのは
ああ、できないまま一日が終わってしまったと嘆くほど
人生にとってそれは果たして大事なことだっただろうか?

明日死ぬと解っていたら
今日のうちにやっておきたいことは何だろう?

やっておかなくてはいけないことは何だろう?

そう考えると今日終えられなかった事柄の全ては
大して重要なことではなかったなという気がして
嘆くほどのことでもないな。。。と安らかな気持ちになる。ははは。。。

今の自分が
本当にやりたいことは何だろう?

そのことを
もっと真剣に考えてみる必要があるなと再認識した一日だった。




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posted by Primrose at 00:42| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月22日

犬と遊ぶ

犬と遊ぶには
自分も犬になることだ!?

人間と犬という風に
上から目線?のような
人間の枠の中から出ていけないまま犬と遊んでも
本当の犬の楽しさは解らない。

こちらが人間の枠の中にとどまっている限り
イヌから見れば得体のしれない別種の存在であるという緊張感はなくならないからね。

普段の生活では
人間対犬であるという一線は必要だ。

でもひとたび
遊びという時になったなら
普段の線引きは消し去って
此方も犬の感覚になって夢中で遊ぶ。

そうすると
犬はこちらに対する警戒心が無くなって
こちらの懐深く飛び込んできて
魂同士の活性化が起こるから
そうやってかかわった犬は
犬という動物の枠から解き放たれて
魂の各上がりを果たして行く。

世間の犬と飼い主が
ただもたれあいのまま
共依存しまくった結果
どちらもが動物に落ちて行ってしまうのは
人間が上から目線で
犬を可愛がっているという暮らし方にとどまって
本気で叱ったり
本気で遊ぶという事が無いまま
魂の活性化が為されないからだ。

犬が自分の元にやってきて
その寿命を全うするまでの永い期間の中で
自分の犬と本気でかけっこや鬼ごっこ
引っ張りっこや
かくれんぼ
未知の世界の冒険や
宝探し
一緒の仕事を行った飼い主が
どれくらい居るだろう?

犬は
愛玩なんて言う軽い生き物なんかじゃなく
ちゃんと魂が備わっている生き物で
飼い主である人間の元にやってきたのは
互いの魂を刺激して
共に各上がりを果たすためなんだぜ!?ってことをなんとなく感じていたのは
オババが高校を卒業したくらいのころだった。

なんとなく感じてはいたけれど
それをはっきり言葉にできるようになったのは
問題犬の矯正や里親募集をするようになったことや
リズと関わるようになってからだ。

ペットブーム真っ盛りのころから
愛玩犬とか家庭犬という言葉が世にはびこるようになった。

ペットブームが去った今でも
その言葉に飼い主である自分と愛犬の関係を押しとどめたまま過ごしている人は
現状維持という
時間の流れに取り残されたまま朽ちていく人たちだなと思う。


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posted by Primrose at 09:10| 千葉 ☔| Comment(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月21日

最近オババが思う事

人にはそれぞれいろんな幸せがあって良いのに
他人に対しては
安定しているというだけの現状維持が最良のような考え方で
自分たちの枠の中に相手をとどめておこうとするのは
どこかで相手が自分たちより幸せになるのは良しと思えなかったり
自分が知る世界の外に
もっと別の幸せが沢山あるってことを想像できないからなのだろうなって思う。

現状維持なんてのは
何時だって世界は変化し続けていることを考えれば
不幸の始まりでしかない。

しかも自分たちが常に不満の中に居ることを知っているくせに
何故相手をその枠の中にとどめさせようとするのか?って考えるとね、
枠の外に飛び出していこうとする相手の存在というのが
自分の中にある外の世界に出ていくときの不安感を投影する存在に見えるからなんじゃないだろうか?って気がする。

ADHDはね
好奇心と冒険心が旺盛だから
不安感よりそれらの方が勝っていて
一つのステージをクリアすると
そこはもう卒業だなって次なるステージに向けて飛び出していくのね。

そこに停滞ってのは有り得ないわけ。(笑)

周りからすると飽きっぽいって風に視られたりすることも多いのだけど
飽きたというのとはちょっと違って
そこでは自分が目的としていたことは学び終わって
此処にはもう学ぶことが無くなったっていう判断があるめだけのこと。

べつに全てのことが解ったっていう事ではなく
自分が学びたかった内容は終わったっていう
ピンポイント的な学びだっていう事。

人生時間には限りがあるわけだから
必要な学びが終われば
そこにとどまっているのは時間の浪費にしかならない。

でもそれをそのまま公言してしまうと
そこにとどまり続けるしかない人たちにとっては
置いてきぼりを食わされているみたいで馬鹿にされているような感覚を抱かれてしまうのではないかと思うから
本当はここに居続けたいけれどそうもできないのだという風に装って去るしかない。

その場を立ち去って
別の世界に飛び出していけるのは
自分の周りにやたらなしがらみが無いからで
そこに留まり続けなくてはならない人たちは
家族というしがらみが大きいからだという事を知っている。

でも本当は家族という背負わなくてはならないしがらみがあっても
自分がもっと上を観て努力できる人だったら
別にそこにとどまり続けている必要などなくなるって思うのだけどね。

実際、そうして現状維持ではない
進化の道を模索し続けている人たちが
メールを受講してくださっているしね。


ってことで
オババ、此処に着て一気に環境を変えて進化の道に戻ることにした。(^_^)v

そして思ったことは
若いころに
これをやりたいって思ったことっていうのは
案外的を得ていて
紆余曲折在りながらも
結局そこに戻っていくものなんだなっていう事。

若い?幼い?ころっていうのは
思考に余計な垢がついていないから直観的。

だから意外と自分の才能みたいなものに無意識的に繋がっていたりして
幼いころに感じていた
これをやりたいっていう事は
或る意味
自分は将来こういう人になるっていう予言みたいなものなんだなって思った。

今の住まいに引っ越してきて
そこに原点回帰したなって気がしていて
リズと果たせなかった夢に
もう一度チャレンジしてみようかなって思い始めた。

身体的な問題は大きいのだけど
それを乗り越えられるような方法を見つけないとね!




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posted by Primrose at 04:17| 千葉 ☔| Comment(0) | ビジネス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする