自分なりに結構迷っていたのだけど
昨日トレーナーさんに会って以来
やはり言ってしまった方が良いのかな?と思い始めた。
それは
先週木曜の朝のこと
寝起きに
スゥ〜ッと頭の中に降りて来た一つの考えについてだ。
自分が保護活動をやりなさい!
って。。。
愛護法がとんでもなくなってしまっているこんなご時世に?
今更?
って
降りて来たそれに
反論した。
その後みんなの世話をしている最中に
庭で
また降りて来た。
貴方が里子に出した犬の飼主さんたちは
何か困ったことが起きた時
他の人に聞くより前に
貴方のところに相談するでしょ。
だから
生まれた子は
全部里子に出しなさい!
これは
かつてサクラの子が生まれた時に
師匠から言われた言葉だ。
なんで今?
今朝起きぬけに降りて来たあれと
今のこのお師匠さんのかつてのお言葉。
こんな健康状態で
自分自身すら維持しかねているというのに
どうしろと?
ましてや
この年になってから
また犬を抱え込むことはしたくない。
自分がこの先どうなるかさえ保証が無い状態で生きているのに。。。
それこそ
ジョシュたちの寿命まで
自分が持ちこたえられなかったときのことまで
想定しながら暮らしているのに?
どういうこと?と思っていた。
仮に
もしそれを実行するにしたとしても
じゃあどうやって?というのもあったしね。
何故それが降りて来たんだろう?って
考えてみた。
そしたら
その前日が
例によって病院の診察日で
もう二月まで来ません!と医師に告げ
それまで病院に振り回され
予定が立てられず
いつも頭の上に重しをかけられてでもいるみたいになっていたのが
ああ、これで自分のやりたいように暮らせるようになったわ〜って
頭の上の重しが取れたみたいに
スカッとして前日寝たのだった。
要するに
これまで塞がれていた蓋が
カバッと開いたってことなんだなと。。。
自分らしく過ごせるようになった解放感で前夜寝て
それで起き抜けに降りて来たのが
自分が保護活動をやりなさい!
だった。
え゛〰っ!?って感じだったけど
これまでいろんな保護活動家と関わってきたが
結局彼らは
人間を憎み
犬猫への依存を辞めようとせず
自分の手で問題のある子を直してみれば
何が本当かがわかるからと言っても
私にはそんな時間は無いのよ!と
時間が無いという言い訳をしては
犬と本気で取り組むこともせず
偽善に酔うだけで
まったくイヌについて学ぼうとしなかった。
そればかりか
自己愛によって
犬たちの健康や精神管理をないがしろにするばかり。
オババは
彼らが社会的影響力が大きい事を知っていたから
そんな彼らが自分たちのおかしさを直してくれたら
彼等の元から里子として犬を受け取った人たちの人生も豊かになるだろうし
社会全体が
依存や支配ではない
本当に愛情とか思いやりに溢れた世界になって行くだろうって思っていた。
だから彼らが
憎しみを捨ててくれないかと
いろいろやってみたが
彼等はそれを受け止めることは無かったし
社会はそんな彼らの影響を受けて
どんどんおかしな方向に進んでいたから
もうこんなことに関わるのはやめにしよう。
時代の流れに逆らって
それを食い止めようとしても
大変な思いをするばかりで
そんなことは誰も望んでいやしないのだから
無駄なあがきという物だ。
だったら別の将来性がある業界がどこかというのを模索した方が
残りの人生を無駄にしなくてよいだろうって思うようになっていた。
なのに
ここにきて
なんでまた犬の事をやる必要があるの?って思ったし
あんな苦しい事を
またやらせる意図が判らないって思った。
でもね、朝に降りて来たことを後押しするかのように
師匠の言葉が頭に降って湧いてきただけでなく
それに続いて
その日の夜に
ある方から電話があって
前に大変な思いをしていたことは
時代に逆らうみたいになっていたからで
そういう風な進み方じゃなく
自分のやりたいように進めばいいんじゃないかっていうことに気づかされる話が有った。
そういう風にやり方が違えば
結果もまた違ってくると思うよと言われ
要するに
自分が思い描く世界なら
その世界の中心は
自分に他ならないのだからと言われた。
なるほど。。。確かに!
そういう意味では
以前の考え方だと
世界は中心が自分以外の外側にあって
その中で
もがいていたってことだね。
ただやりたいことをやりたいようにやるなら
その中心はいつだって自分という事になる。
だったら何の抵抗も生じないから
苦しかぁないってことか。。。
その方と長いこと話をした事で
その日の朝に降りて来た内容については納得できた。。。が
じゃあ具体的に
それをどういう風に進めていくかというところで
また困る。
とにかく
出来ることは無いかと
考えてみたところ
取り敢えず
入院のために頼もうかと思っていたトレーナーと接触してみて
そしたら何かしらのヒントが得られるかもしれないし。。。というので
連絡してみて
その流れで昨日初めてお会いしたというわけ。
まあそれによって
愛護法が以前にもまして
とんでもないことになっていると聞かされ
このままいくと人間も犬もどんどん野獣化する一方だなって思った。
ああ、この世界の流れを食い止めろってことだったんだなと。。。
でも世界を変えるという
外側へのアプローチというのではなく
自分が変われば
自分が目にする小さな世界は
自分の願望通りの世界にしかならない。
それでいいんじゃね?ってこと。
だからね
此処から先
オババは
やりたいようにやる。
やれることからやる。
ただそれだけだ!
もしも賛同していただけるようでしたら
応援
宜しく!m(_ _)m

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たくさん書きたいことがありますが手短に。
くれぐれもお身体にはお気をつけて…と言いたいところですが、第六感(?)は無視すると後悔することが多い気がするのです。
というわけで、応援しています!!
有り難うございます!
まったくもって不思議な
お告げ?に
正直かなり面食らってしまいましたが
夜にかかってきた電話の方との会話で
いろんなことが整理され
んじゃあ、ちょっとやってみますか?と
手始めにと連絡したトレーナーさんが
なんとあのご褒美しつけを世に広めるのに一役買っていた
〇井ドッグスクール出身だった。
会って話してみてビックリ!
そして
後には県の職員がやって行くように変わったけれど
当時千葉県の行政が行っていたしつけ教室実技の講師をやっていた女医さんが
躾の仕方を学んできたというのが
まさにそこだった。
(しかもその女医さんは自分の指導で問題をこじらせ
噛みつきに困った飼主さんに対応できなくなると
最終的にこちらに丸投げしてきてた)
しかもその方、そこからさらに
〇井ドッグスクールを卒業して後務めた先というのが
内が里子に出したホルス君が
最初の里親から別の方のところへと流され
新たな里親らしき方がホルスを使ってトレーナーになるための練習をしているとyoutubeの動画で語っていた
〇ンリーワンというスクールだったというから
出来過ぎじゃね?と思いました。
その方にはそういう関連性は
まだ全然お話ししていません。
トレーナーさんご自身は
〇井ドッグスクールの先代のやり方と
次の代に変わってからのご褒美しつけの両方を観てきたとおっしゃっていました。
でもお話しした感じだと
その方が観てきたという先代の訓練というのも
矯正訓練の真髄は解っていないなと思いました。
何たってそこでのその方は生徒として観てきただけですし
矯正訓練を完成させられるほど
元のテンションは高くない感じ。
そういう意味では
こちらがあちらに伝えていけるものは沢山あるのかなと。。。
御返信ありがとうございます。
そしてちょうど寒くなってきたタイミングで発破をかける記事の数々にも感謝します。
いや〜私も驚きました!
不思議ですね、天からの導きでしょうか。
たぶん先代の先生は日本初の聴導犬を作った方ですよね。(まずかったら遠慮なく未承認でお願いします!)
実はこちらのブログの影響で昔の犬界に興味を持ち、いくつか古本を購入しました。
当然ながら執筆陣の皆様は鬼籍に入っておられるので実際に犬を扱う姿も作られた犬も見られません。
なので、どういう返還を辿ってきたのか気になってました。
私はいつも思うわけですが、primoroseさまの先生を映像でもいいので見たかった。
ショバンコンクールの反田さんは予選の段階で既にコンクールという枠を飛び出した演奏に聴こえました。
なんというのか…譜面通りに弾く、ここはフォルテ、ピアノと書いてある…という次元を越えた圧倒的な表現。
天晴れでした!
>実はこちらのブログの影響で昔の犬界に興味を持ち、いくつか古本を購入しました。
昔の本の中にも残念ですが
「強制訓練」は書かれていても
「矯正訓練」は書かれていないです。
それは矯正訓練が人にも犬にも危険が高い事や
公表すれば必ず虐待と勘違いされやすいからではないかと思います。
そういう意味では
自分はとても恵まれたタイミングで師と出会い
それを視たり
実際に教えていただける機会に恵まれる材料となった犬が手元に居たこと
それから、師匠が別の方にそれを教え込んでいる場面に
これまた偶然に立ち会う機会があったという
不思議な偶然の重なりに感謝しています。
矯正訓練は
可愛いとか可哀そうとか言う感覚があると完成させられません。
ひたすら完成させるというだけの意識でないと
集中力や観察力が欠けてしまって
一つ一つの段階を上げていけなくなるからです。
そして
後からわかったことですが
習っているだけの人だと
訓練を完成させられないのだなという事。
ひとつひとつ段階を上げていくためには
自分の頭で
観察したことを基に
次のことを構築していくという事が必要になります。
だから
習っただけでは完成させられない。
犬によって反応の仕方や反応の強さは違いますから
相手の反応によって進め具合ややり方にバリエーションが必要になってきます。
そうしたことが究極の状況の中で
瞬時に判断できないと
犬を潰してしまう事になる可能性がある。
そういう点から考えても
ある程度いろんな犬を扱って
バリエーションの蓄積が出来ていなければ
この訓練は出来ないのだとも言えますね
それと
危険が高い=虐待
という図式が
世間の考え方になってしまっていますが
なぜ危険が高いのかということが判っていないので
矯正訓練を公開すると大炎上間違いないでしょう。
犬を知らない人
生物の生理を知らない人
自分自身を知らない人が行うと危険というだけで
これらが解る人には
特に危険な作業ではない。
でもこれらのことが判らない人が
解ったつもりで行えば
確実に事故につながってしまう。
人間で言うと
国家資格が与えられるだけの
勉強と技術を磨いているはずの医師が手術や縫合を行えば
危険の確率は格段に低いが
素人が判ったつもりで開腹手術や縫合を行えば
かなりの確率で
手術が必要ではなかった臓器を傷つけてしまったり
感染症や癒着、大量出血を招いて死の確率が高くなるというのと同じです。
でも公開されれば
何も分かっていない人が真似をして
とんでもないことになり易い。
だから矯正訓練は公開されずに
師の監督下における師弟間での訓練によってしか
伝授されてこなかったのではないかと思います。
それでも
弟子が矯正訓練をしっかり作り上げられるには至らないまま
ただ危険が無く実行できるという段階で止まってしまって
わざわざ危険を冒してまで行ったにもかかわらず
その成果を最大限にまで高めることが出来なかった弟子たちが
あれは良くないと言ってしまっているのだと思います。
そういう人は
犬を知らない人
生物の生理を知らない人
という部分はクリアできていても
自分自身を知らない人
をクリアできていなかったという可能性が高いと思います。
だから
事故にはならないけれど
効果が出にくい。
効果を感じれないから
危険を冒すことの非を強く感じてしまう。
そんなところだと思います。
ショパンコンクールは世界中で沢山の方が
最初はそれぞれご自分が贔屓の方を応援していますが
参加者の方たちの素晴らしさに魅了され
最後はどの方の演奏も食い入るように聴き入ってしまいますね。(*^^*)