2024年10月23日

いつ死んでも悔いはない

4〜5日くらい前から
左手の親指がばね指状態となった。

今のところ時間をかけてマッサージすれば
何とか元通りになるが
睡眠など動かさない時間があると
またばね指と化してしまう。

目覚めた時にそれと知らずに使おうとすると
激痛が走る。

以前左手の中指のそれを治してもらう手術の時
オペ台上の自分の上にあるオペ燈のステンレスに映る
オペの様子を下からずっと観ていたら
石灰化?なのか
萎縮なのか?知らないが
弾力性が無くなっているらしい腱を
そうでないまだ使えそうなそれと分けて切除しているのが解った。

その後傷は回復したものの
伸ばすときの引っかかりは無くなったが
曲がりは他の指のようにはいかず
拳を握ろうとすると中指だけ浮き上がったままとなっている。

有るべき物が無くなったのだから
それも致し方ないことで、
医師は気にしてくれていたが
自分的には痛みから解放されただけでありがたいことだった。

しかしまたここであれが始まったというのは厄介なことだ。

しかも今度は親指だから
動きが悪くなったらかなり支障が有る指だ。

神経のつながりが悪いから筋肉が落ちやすく
それによって栄養するために必要な血流が不足して
腱がダメになるのだろうと思ったりする。

そう思うのには全身状態が
脱力することに困ってるからで
親指のそれは、全身で起きていることの一部と思ったりする。

まあそんなだから
そろそろこの肉体も限界が近づきつつあるのだろうと感じている。

やりたいことはまだまだ沢山有るけれど
何せ身体が思うようにならないから
諦めざるを得ないことがいっぱいだ。

諦めなくてはならないもどかしさを味わい続けている苦しさは
子供の頃の苦しみを思い出されるから
二重の苦しみとなってくる。

何もできないなら出来ないなりに
出来ることを見つけ出して動くことで
そうした心の痛みを薄めたりする。

今やれることしかできないのだから
それを見つけてやることで
諦めることの傷みから逃れるために動く。

それもいつかは本当に動けなくなって
頭の中で妄想することしかできなくなるのかなと思ったり…

普段からそんな感じだから
いつどうなっても何の悔いも無い。

そう達観していられることは
案外幸せな事なのかもしれないと思ったりする。

生き尽くしたというか。。。そんな感じ。

人間の身体は
何かを足したり引いたりしなくても
必要なものは全部そろっているし
余分なものは何一つない。

そう思うようになったのは
心臓カテーテルアブレーションと手根管症候群のオペを経験してからだ。

何も足さない。

何も削らない。

それでダメになるのは
それが寿命という事だろう。。。と。


ぺスメーカーを装着し、
本当ならすでにこの世には居なくなっているだろう
死ねなくなった母の様子を観ていても
そう思う。

母はすでにお迎え現象が現れているのに
逝くに逝けないまま
時折動けなくなったり
いきなり傾眠に堕ちたりしながら過ごしている。

長姉にはあれほどペースメーカーは入れない方が良いと進言したのに
医療現場でのそれを観たことが無い姉は
医師に言われるままそれを母に埋め込んだ。


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posted by Primrose at 20:49| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気・怪我 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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